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FILLMORE MOSRITE SUPERNOVA BLOG 第70号

MOSRITE INFO | 2010年07月21日 15:27

~INTRODUCTION~
♪フィルモア・モズライト・ファンの皆様いかがお過ごしですか♪
「モズライト・スーパーノヴァ・オフィシャル・ブログ」今回は第70号の配信です。毎月2回の更新で皆様にフィルモア・モズライトの色々な情報を発信していきます。前々号第68回から今回第70回までの3回は、先日モズレー・ファミリーとの出会いの為に訪れた“アメリカ・テネシー州ナッシュビルへの旅”…名付けて「ヴィジット・ナッシュビル ハートフルツアー・スペシャル」と題していつものスーパーノヴァ・ブログとは違うスペシャルな内容でモズライト・ブログリーダーの皆さんへお届けします♪♪♪モズライト・ファンなら要チェックの内容ばかりですので毎回の更新をお見逃し無く。それでは早速参りましょう!!!
♪WELCOME TO THE EXCITING MOSRITE WORLD & PLEASE ENJOY IT AS MUCH AS YOU WANT♪

※ 次回第71号の更新は8月13日(金曜日)の予定です。なお更新日は変更になる場合があります。その場合は当コーナーにて随時お知らせしますので要チェック!!!

① ホット・インフォメーション HOT INFORMATION ※不定期更新となります。
(その1)☆フィルモア・モズライト・ファンの皆様お待たせしました☆“夏の定番”アイテム モズライト・オフィシャル・半袖ポロシャツ(2010年夏バージョン)入荷しました!!!
日頃皆様からご要望の多かった「夏用半袖・ポロシャツ」がいよいよ入荷しました。もちろん胸元には「モズライト・オブ・カリフォルニア」のロゴ・プリント入りです。カラーは4カラーで、サイズはL、XLの2種類です(Mサイズは全て完売してしまいました・ゴメンナサイ><)。詳細は下記のリンクをクリックしてメイン・サイト内特設ページをご覧下さい。
「フィルモア・モズライト オフィシャル・半袖ポロシャツ」特設ページはここをクリックしてご覧下さい。

② ☆ヴィジット・ナッシュビル スペシャル・コンテンツ☆
~TRUE STORY OF MOSRITE~ モズライト・ストーリー“真実を追って”
第3回・最終章 – モズライト社の衰退、そして「渡りに船」… –

皆さん前回のスペシャル・コンテンツ「モズライト・ストーリー“真実を追って”」第2回いかがだったでしょうか。とても興味深い記事と写真がありましたね。さて今回でいよいよこのスペシャル・コンテンツも「最終章」と言うことで…まずはこんな話から始めてみましょう。

・ モズライト社、そして「ベンチャーズ・モデル」に陰りが・・・
 1963(昭和38)年「ベンチャーズ・モデル」の生産がスタート、1965(昭和40)年には量産体制に入り、何とこの年の間だけで、しかも「ベンチャーズ・モデル」(ビブラミュート&モズレー台座マウント)だけで約3600本ものマークⅠモデルが出荷されていったのです。そしてこの年モズライト社も正式に“MOSRITE OF CALIFORNIA INC.”として住所も“1424P STREET BAKERSFIELD, CALIFORNIA”に登録されたのです。セミー・モズレーを社長に、アンディー・モズレーを副社長、ゼネラル・マネージャーにはケン・ギルストラップ、そしてセールス・マネージャーにフィル・ブランナーがそれぞれ就任し、工場の規模もピーク時には300人近い工員と関係する業者にまでなったそうです。

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当時のモズライト役員 4人の写真

 1966(昭和41)年には、「ベンチャーズ・モデル」は約1100本の生産でしたが、その他にもコンボ・モデルからセレブリティー・モデルまで色々なタイプの機種が生産され前年を上回る生産数で正に「モズライト黄金期」の2年間だったのです。
 ところが…モズライト社にとって最初の大失敗となる出来事が起きたのです。それまでモズライト・ギターでのりにのっていたモズライト社は、セミー並びに首脳陣のアイディアでモズライト・ブランドのアンプを手掛けていくことになったのです。

・ 「悪夢の始まり」・・・そして少しずつ歯車が噛み合わなくなっていくモズライト社
 もちろんどこのギター・メーカーでもギターに成功すれば、やはり次にはアンプも作ってみたい・・・フェンダーでもギブソンでも、どこのメーカーでも一度は考える事です。無論モズライト・オブ・カリフォルニア・インクとしてもアンプを作ろう、と考えるのは至極当然の事です。ところが、ギターとアンプは別物…つまり完全にアンプ専門のプロジェクト・チームを組み、優秀なスタッフとビルダー(職人)が必要になってきます。ファズ・ライトの成功で気を良くしたセミーはファズ・ライトのチーフだったエド・サナーに依頼するのですが、同じ工場内でファズ・ライトは作れてもどこでアンプを作るのかが大きな問題になりました。それもファズ・ライトにすでに使われていた、当時としては最も秀でていたトランジスタ(私が思うにはゲルマニウム・トランジスタと思いますが)を使用してアンプを作る、と言うプロジェクトだったのです。決して無理をしてはいけないのですね…陣中万端な思いだったセミーを駆り立ててついに外注によるアンプの生産が始まりました。この時アンディーでさえもセミーの勢いを止める事が出来なかったそうです。そして案の定、最初のアンプ・シリーズである「GAシリーズ」は何とかクリアーし、さらにハイ・パワーなあの「アワード・アンプ」BG500とBG1000の生産に入っていくことになるのです。この2機種のアンプ…パワーは十二分にあるのですが、いざ持ち運ぶとなるとすぐさま故障してしまうのです。言うまでも無くクレームが続出したそうです。これらのクレーム処理でアンディーも大変な思いをしたそうです。

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(上2枚) アンディー・モズレー氏の活躍ぶりを表す当時の写真

 これがアンディーの言う「悪夢の始まり」…1967(昭和42)年の出来事です。この年の出来事と言えば、ベンチャーズもコンボ・モデルを持参して来日、ステージのバックには上述の「アワード・アンプ」BG1000が並んでいました。私が観に行ったこの年の公演…確か会場は東京・千駄ヶ谷体育館で何とステージの途中でこのアンプが故障してしまうのです。メンバーもメルが本気で「ダラッダ、ダ、ダラッダ、ダ…」とドラムを叩き、そんな中でアンプの入れ替えが行われてとても面白かったのを覚えています。今ではまず考えられない出来事です。

・ ノーキーのベンチャーズ脱退、そして更なる悲劇がモズライト社を襲う
 アンプでの失敗を補うためにモズライト・オブ・カリフォルニア・インクの首脳陣達、とりわけセミーとアンディーは色々と試行錯誤した結果、「ドブロ社」を買収する計画を打ち立てます。私達にあまり馴染みの無いこの「ドブロ」と言うスチール・ギターですが、ひざの上に置いてハワイアンのスチール・ギターのように演奏するのです。何とサウンド・ホールにはアルミの円盤がついており、大きな音で共鳴してくれるのです。そしてこの「ドブロ・ギター」はカントリーの世界では1バンドに1台はなくてはならない、と言っても過言ではない位のギターで、それを演奏する「ドブロ奏者」も必ずいる程なのです。つまり「ドブロ」を買収して莫大な需要をたてにそれまでのマイナスを補う作戦に出たのです。
 ところがこの「ドブロ」…「ドブロ」と「モズライト」をひっかけて「モブロ」と言う製品を出したのですがこれまた大失敗に終わります…音が悪かったのか、それともプライスが高かったのか…原因は良く分からなかったそうですが、いずれにしろ販売は伸びず大量の在庫を抱えてしまったのです。そして同時期に事もあろうにベンチャーズからノーキー・エドワーズが脱退、ベンチャーズにもそしてモズライトにとっても大きなマイナスの要因となってしまったのです。その後セミーは更にモズライト・レコード・レーベルを立ち上げてレコード界にもデビューしてしまったのです。これがまたまた大失敗…いよいよモズライト社も再起不能に…そんな中セミーはギター仲間でもあった「VOX社」に身売りの話をしたのでした。この時「VOX社」の目論見はあのベーカーズ・フィールドの大きなモズライト工場をそっくり乗っ取る事であり、モズライトの製造にはあまり関心がなかったようです。こうしてモズライトは「VOX社」に買収され、案の定その後工場ではVOXのギターが生産されるようになり、何とモズライト・ギターを裏にしたデザインの「ブルドッグ」等、モズライトとは程遠いVOXのエレキ・ギターがあの広大なベーカーズ・フィールドの工場で生産されたのです。1969(昭和44)年の出来事です。

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VOX社が特別にオーダーしたレーシング・カーにVOXの社長とセミーが乗っている 写真では微笑んでいるセミーですが、この時の事は非常に屈辱的な思い出だったのだそうです

 3回に渡ってお送りしてきたスペシャル・コンテンツ~TRUE STORY OF MOSRITE~ モズライト・ストーリー“真実を追って”いかがだったでしょうか。モズライト第1期・1963年~1968年の6年間について、私達モズライト・ファンの一番知りたかった“真実”をアンディー・モズレー氏から語って頂きました。
 さて、時は現代に戻って…そしてこの語りの後アンディー・モズレーはいきなりピアノを弾き出したのです(アンディー、やるじゃん!!!)それどころかのってきたアンディーは次に「モブロ」ギターを持ち出してきて、カントリー・ミュージックを弾いてくれたのです。

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アンディーが私達の為に「モブロ」を弾いてくれました♪♪♪

 そして最後に…アンディー・モズレー氏は「モズライト・ギター」の未来を想い、日本において粗悪且つ高額なギターを製造販売し市場を混乱させている事を嘆き、これ以上モズライトのブランドを翻弄させて欲しくない事を切に願っている、と付け加えて、幾年もの時を越えてモズライトの灯を絶やさずに今日まで継承し続けてくれたフィルモアと一緒に再びモズライトを継承し発展させていける事が何よりの願いであり大きな喜びである、と言葉を添えてくれました。また、今年のクリスマスに日本のモズライト・ファンの皆さんに会える事を今から楽しみにしています、と締めくくってくれました。

 私達は今回非常に有意義な時を過ごし、こうしてアンディー・モズレーとマーク・モズレー両氏が住むテネシー州ナッシュビルを離れ帰途に着きました。今回モズライト・ファンの方々にはほんの一部しかお届け出来ませんでしたが、今後近い将来アンディー・モズレー氏よりモズライトの長い歴史について本人からお話しする機会がありますので、もちろんその都度当ブログでご紹介して行きたいと思っています。どうぞお楽しみに!!!

 さて、次回からはずっとお休みしていた「社長の知恵袋」 ~モズライト・オヤジ達に送る青春のラプソディー~フィルモア・モズライト図鑑 モズライト・フォーエバー「知られざるモズライト・ヒストリー&ミステリアス・ストーリー」が再開予定です。内容は次回までのお楽しみ、と言うことで
♪それでは次回もお楽しみに♪

③ SINCERE MESSAGE FROM FILLMORE MOSRITE
 「モズライト・スーパーノヴァ・オフィシャル・ブログ」第70回「ヴィジット・ナッシュビル スペシャル~後編~」、皆様お楽しみ頂けましたでしょうか。今回の「シンシア・メッセージ」はフィルモア・エグゼクティブプロデューサーから皆さんへのメッセージ・第3回最終回です。

 フィルモア・モズライト・ファンの皆さん、いよいよ本格的な夏の到来です!毎日ここフィルモアのある東京地方も連日35℃以上の猛暑で、先日訪れたテネシー州ナッシュビルの暑さに負けない位の“大陸的”な暑さには私も本当にビックリさせられています。そんな中、先日7月11日(日)に行われた「モズライト・チャリティー・ライブ イン・サマー2010」には暑い最中、遠方から駆け付けて来てくれたファンの方々を初め、多くのモズライト・ファンの皆様にご来場&ご参加頂き今年も無事終了する事が出来ました。この場を借りて私、そしてモズライト・オールスターチーム・メンバー一同心より感謝の気持ちをお伝えしたいと思います。そしてこれからも一生懸命頑張ってこの「モズライト・チャリティー・ライブ」を続け、邁進し続けていきますので皆様のご支援を宜しくお願いします。又来年の夏、皆様にお会い出来る事をメンバー一同今から楽しみにしています。さて、3回に渡りお伝えしてきた「ヴィジット・ナッシュビル ハートフルツアー・スペシャル」も今回が最終回となりました。早速前回の続きをお話したいと思います。

 私達は3日目(最終日)の午後、再びアンディー・モズレー氏に会う為に彼の家へ向いました。私達が彼の家に着いた時彼はすでに玄関のドアのすぐ横にあるロッキング・チェアに腰をかけ、私達の到着を今か今かと待ちわびていた様子でした。そして家の中に入る時、アンディー氏は私達の訪問の為にドアに飾られてあった「ウェルカム・アワー・スウィート・ホーム(ようこそ我が家へ)」の壁飾りを、「これはもういいかな」とつぶやいて、静かにドアから外しました。そしてテーブルにつくと私のセーターを見て「君のセーターは何てきれいな色なんだ」と言ってくれました。私はちょっと照れてしまいましたが、その時着ていたセーターは白のレース糸で模様の所に3色のレース糸を使ったオール・ハンド・メイドのセーター(私のセーターは全て私がデザインしたものを、友人である編み物の先生が手作りで製作してくれています)で、小さな可愛いパステル・グリーンとオフ・ホワイト、そしてサーモン・ピンクのフランス製のヴィンテージ・ボタンが3個づつ並んで付いていました。“モノ”作りの人達はさすが感性が豊かで良く分かっているんだな、と私はふと心の中でつぶやいていました。そしてきっと“アンクルAJ(アンディーおじさん)”は私達フィルモアが継承し続けている、“真”のモズライトのクオリティーを一目見て、この職人魂を正にギターから感じ取ってくれた事をこの時私は確信しました。私がこの旅の中で何より幸福感に満たされた瞬間でした。この日のアンディー・モズレー氏は、モズライトの赤のTシャツにモズライトのキャップをかぶり、私達を迎えてくれた事も付け加えたいと思います。それはそれはチャーミングでとても素敵でした。

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社長とアンディー・モズレー氏との2ショット 二人の笑顔が微笑ましい一枚

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そこへダイナが加わっての3ショット

 そして最後の日の夜を迎えることになりました。その夜のディナーにはモズレ一家と古くから縁の深いジョー・メイフィスのギター・プレイの継承者である、エレイン・フィリッツェルさんも駆け付けてくれました。彼女も本当に人間的に素晴らしい方で、私とは前回お会いした時にダイナ・モズレーと私達のモズライトを高く評価してくれて、そのクオリティーを絶賛してくれました。そして彼女は今回スタジオ・ミュージシャンとして大変名誉ある「マール・トラヴィス ライフタイム・アチーブメント・アワード賞(Merle Travis Lifetime Achievement Award)」を受賞しました。本当におめでとうございます!!!これからも元気で頑張って弾いてくださいね。

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社長とエレイン・フィリッツェルさんの2ショット

 そして色々な話の最後に、セミー・モズレーの魂を安らかに永眠させてあげたい、と言う強い想いが皆から湧き上がってきました。ダイナはアメリカでもモズライト・チャリティー基金を設立し、亡き父の記念碑を設立したい旨を皆に伝えました。日本のモズライト・チャリティー基金も今後ファンの皆さんと一緒にセミー・モズレーの記念碑設立に是非協力したいと思います。

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社長とダイナ、そしてエレイン女史がアンディー氏を取り囲んでのスマイル・ショット

 夜もだんだんと更けていきました…いよいよお別れの時が来てしまいました。皆で又会いましょうとハグ(抱擁)をしあいました。今回の旅では更にお互いに強い絆が出来た事、そしてこれから皆で一丸となってモズライトを護り続けていく事を誓い合いました。私は最後にアンディー・モズレー氏にハグをされた時に、あふれる涙をとめる事が出来ませんでした。

We would never be disheartened, no matter how hard the difficulties we face with. We've been going on such long long ways to realize our dream come true, and we will keep trying hard to do so, with firm beliefs and passions of both ours and all the Mosrite fans & lovers, and of course with "Built In Soul" craftsmanship as well…let's sail for our wonderful trip to Mosrite future!!!


Mosrite forever,


Yukie Yusa,
Executive Producer

※ 次回第71号の更新は8月13日(金曜日)の予定です。なお更新日は変更になる場合があります。その場合は当コーナーにて随時お知らせしますので要チェック!!!

ラストは恒例の「レッツ・ゴー締めで」~チャチャッチャチャチャ、チャチャチャチャ レッツ・ゴー!!! では又次回第71回の「モズライト・スーパーノヴァ・ブログ」でお会いしましょう~♪

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